めんへるのごみばこ。

毎日の日記のようなものです。

エイリアン。

今日は良かったことと、悪かったことと丁度半々って感じでした。



良かったことは、美容室でチョコ貰えたことくらい。

ただ、伸ばそうと思ってたのに、結構切って貰っちゃって、少し後悔してます。

でもいつものようにサラサラにして貰えて嬉しいです。💇✨







そして悪かったこと。

今日も朝からお客さんいっぱいでバイト疲れました。


人の悪口って連鎖していくもんですね。


1度言っちゃえば、タガが外れたように言うようになるし、


それまで不満を溜まらせてたのか、上に上れたような満足感が嬉しいのか、


1度目を付けられたらもうおしまいですもんね。


病院で言われた言葉がふと思い出されて、


「誰かから嫌われたら幸福感は損なわれるものである。」


という問いに対して私は強く共感する、と答えました


でも、実はこれは自分が偏った思考であることを教えてくれる質問だったわけです。


誰か、という者に私はバイト先の人達やクラスの人達を思い浮かべました。


当然、その中には相容れない人もいます。


それと同時にとても仲のいい友達もいます。


その両方から嫌われたとして、後者から嫌われたとする。

それは確かに幸福感は損なわれるかもしれないけれど、果たして前者はどうでしょうか。


自分でも苦手だ、合わないな、なんて感じてる人に嫌われたとき、


自分が大切にしている人に嫌われたときと同じように感じ取ってしまっていいんでしょうか。


その差のようなものはちゃんともっておかないといけないんだよ、


と言われました。


嫌われる原因でさえも、本当に自分に非があるのかも、どうかも、わからないんだよ。


そう言われたとき、なんだか少し気が楽になったような気がしました。



私が今感じてることが間違っているかなんかは置いておいて、


嫌われた、ということに固執し続けてはいけないんですよね。


そう言ったって、なんだか、とてもやり切れない気持ちでいっぱいです。


結局自分は一生このままなのかな、とも思えてきます。


そもそも、嫌われているかもしれないなんて被害妄想が酷いんです。


うちの母や祖母は、悪気はないのかもしれませんが、なんとなく嫌味で陰口のようなことをよく言います。


それでさえももう聞きたくないほどです。


私のことでさえも少し馬鹿にしたように話すそれがどうしても嫌だと感じます。






入ったお店でたまたまスティングのイングリッシュマンインニューヨークが流れてました。


それでまた少しずつ、気が楽になるような、明日が怖くなるような気がしました。


自分がエイリアンで、異邦人で、この場に合うような人間じゃないってことくらい自分でもわかっているのです。


でも、私はその中で自分を主張することなんて出来ないし、


自分の中の人と違うところでさえも、認めることなんてできないです。